「虐待とは何?」

「虐待とは何?」

さて、どこからが虐待でしょうか?

そもそも虐待とはなんでしょうか?


「虐待」という名前自体は社会が作り出したものです。


現代版、士農工商をしているのです。


上を見たらきりがない。

下を見たら自分がどれほど恵まれてるかを知る。

下を作らなければ、社会が動かないのです。


さて、じゃあ、みんなが思ってる虐待ってなんでしょうか?


本当は誰もが知ってるんです。

でも見ないようにしている。


人は本来生まれた時に名前をもらいます。

その名前が本人です。

しかし、その

「本人」という一個人にたくさんの配役を社会は与えます。

「女」であり「妻」であり、

会社での「肩書き」であり、「誰かの友人」であり

いつかの恩師の「生徒」であり、

そして母から見た「子供」である。

けれどもこれは配役であって個人ではない。


心理学では、「二面性」ということを大学入ってすぐの教科書で習います。

人は二面性であり、もっというなら多面性なのです。


その中の一つの配役が「母」になる。


しかし、これは女性が子供を産んだ瞬間に

「お母さん」という配役をもらった時に

一緒にとあるものも社会から渡されます。


それが

「あなたが【世間から見た】良くない母親をした時はこちらからいつでも捕まえに行きますからね」


という

「犯罪者」の切符をもらうことになります。



まず、ここも始まりの一つです。


そして、いつ犯罪者と言われてもおかしくないから、

言われないようにひたすら勤めます。

そう、勤めるのです。

本来ならのびのびと育てていいものを

ビクビク怯えながら「子育て」という仕事をし「母親」を勤めるのです。


近所の目、公共の場での目、社会の目。


そして悲しいことに誰も褒めてくれないどころか

正解もわかりません。

いつ勤務が終わるのかも、目の前の子供によって違う。


次に始まりの二つ目が

「リモコンを取られる」ということです。


子供を産んで里帰りがあるならそれが終わった時、

とにかく、母子が二人で生活が始まった瞬間のことです。


「母親になる前に自分の人生のリモコンという選択肢を全部子供が持っていく」

ということを頭で理解してる人は少ないです。

体と心ではわかっていますが。


このリモコンは、いつもいきなりチャンネルが変わります。

8チャンネルだと思ってたのが10チャンネルになり、

次に2チャンネル4チャンネルとどんどん変更されます。

この変更ができるのは目の前の赤ちゃんだけです。

(母親)となったものには全くできません。


しかも不思議なことに0歳児が一番チャンネル数が多いのです。

そのチャンネル数はもう無数。把握しきれません。

youtubeぐらいのチャンネル数です。

それが1歳、2歳、3歳と大きくなるとチャンネル数が減ってきます。

子供が良く見ているチャンネル数になっていくのです。

しかし、まだリモコンは「取られたまま」です。

言葉でコミュニケーションが取れるようになり、

チャンネル変更にこちらから「待って」が聞いてもらえるようになります。

チャンネル変更についていけるようになるのです。

スピードがわかってくるのです。

そして、ある日、このリモコンが「自分」が返還される日がやってきます

それが大体平均で7歳。

小学校に入学の頃なのです。


まず、「自分の人生」というリモコンは子供の手にあるということを知る。

これだけでだいぶ違います。

まずは「知る」



そして、「虐待の始まり」の3つ目は

「与えたい愛情表現(教育)」

「欲しいと言われる愛情表現(教育)」が全くもって違うということです。


子供は小さいながらに言います。

「〇〇して欲しい」「これが欲しい」「あれが欲しい」と。

物質面でも精神面でもとにかく言います。

しかし、ここで誤差が出ます。

「私(母親として)与えたいもの」と違うということです。


子供が欲しいという愛情表現が星の形をしてるとしましょう。

(母親)としてあげたいと思ってる愛情表現の形は四角い形をしているのです。

彼ら(目の前にいる子供が欲しいという気持ちもわかる)けれども

どうしても(母親)になったものは絶対に何が何でもこの四角い形をあげなきゃいけないと思ってます。


なぜか?


(母親)と(父親)はそうやって教育されたからです。

それが何よりもの正解だと思っているからです。


自分が子供の時に「〇〇して欲しかった」という気持ちを聞いてもらえず、押し殺して

親から「あなたのことを考えてるのよ」という言葉で押し付けられた四角い形。

その教え通りに遂行することが子供の義務になります。


理由は簡単です。


そうしたら親が喜んでくれたからです。


だから子供の時に思うのです。

「いいよ」って言ってもらえないと。


「どこそこの大学に行きなさい」

「あそこのことは仲良くしちゃダメ」

「女の子なんだから」

「男の子なんだから」


といろんなところで

ずっと自身がこの形をくださいというものを却下され

ひたすら欲しくなかった形ばかりが生活、または人生の中で溢れます。

そしてそれがこの社会では圧倒的に「大正解」になっています。

そして(母親)になった時には

目の前にいる子供が

「〇〇ください」という星の形を提示してきた時に

いや、それはおかしい、親なんだからこの四角い形をあげなければいけない

と思い、ひたすら押し付けることになるのです。

なぜ、押し付けられるかというと、

それが「育児であり教育」で

それをしていることが、「犯罪者」にならないことだと思ってるからです。

さて、これらは、とある共通点が見えてきます。



本当に犯罪者ですか?


そして最も大切な共通点が


「日本人全員がされていて、している」ということです。

全員が


「虐待者」であり

そして

「被虐待者」になるのです。



そう。いたって普通にいろんなところでいろんな家庭の中で起きているのです。




56回の閲覧

© 2023 by Ingredients. Proudly created with Wix.com