子どもを叩くということ。

こんにちは。お久しぶりです。

もう年末ですね。12月ですよ。皆さんどうお過ごしでしょうか?

私は音速の如く日々が過ぎていくので正直、ついていけないなぁって感じです。

起きる物事にも毎秒毎秒ついていくのに必死って感じで過ごしています。


さて、そんな今日は

「子どもを叩く」という話をしたいなと思います。


「どこからが体罰でどこからが躾ですか?」

「子どもを毎日叩いてしまって後悔の気持ちで毎晩寝てる子どもにごめんねという毎日です」


こういうお言葉をもらったり聞いたりするのですが、

私の持論というか個人的な見解になってしまうのですが

「どこからが体罰でどこからが躾ですか?」

この言葉の分岐点となることをお伝えしたいと思います。



●子どもを叩いてしまった時に

つい叩いてしまった。思わず手が出てしまった。


という場合と


●子どもを叩くと決めるまでに

何日も

「これはおててをペチンとすべきなのか、それともお尻をポンと叩いて

何がどういけなかったかを伝えるべきなのか」

と悩み悩んだ末に

子どもを叩くことを決意し手が出た時。


このふたつに明確な違いがあるのがお分かりいただけますでしょうか?

ひとつ目が衝動で動いているということ

ふたつ目は理性で動いているということ。

です。


思わず手が出てしまった。そんなつもりなかったのに叩いてしまった。

これは衝動というものになります。

言葉の意味は


【衝動(しょうどう)】

目的を意識せず、ただ何らかの行動をしようとする心の動き。


とあります。

まあ簡単に言ったら深く考えず先のことも考えていない。ということです。

その「行為」がなくてもなんとかなった行動ですね。


ふたつめが理性というものになります。

言葉の意味は言わずもがなですが


【理性(りせい)】

物事の道理を考える能力。道理に従って判断したり行動したりする能力。


とあります。

簡単に言ったら先のことを考えて今しなければならないかどうかを判断し

実行するということです。

その「行為」がなければもしかしたら将来がダメな方向にいくかもしれない

そういう行動ですね。


わかってこられたと思いますが

ひとつ目が、体罰であり虐待行為になります。

そしてふたつ目が、躾の部類に入るものです。


衝動というものの怖いところは、無意識にやってしまっていて

気がついた時には習慣になってしまうことです。

「思わず怒鳴ってしまった」というのをやめる努力をしないと

そのまま怒鳴り続ける自分になってしまうんですよ。


そして

「どうして怒鳴ることをやめれないんだろう」と悩むわけです。

この時にはもう怒鳴ることが癖になってしまってるんですよね。

この癖をなくしたい、けどなくせれないから苦しい。


始まりはとても簡単。

怒鳴ることをやめようとしなかった。やめることを決意しなかった。

だから

今あなたは怒鳴ることをやめれない自分に苦しんでいる。

それだけなのです。


同じように

「思わず叩いてしまった」も

思わず手が出そうになったら止める、手が出そうになるのをグッと堪える

という努力をしなかったから、


「子どもを毎日叩いてしまって後悔の気持ちで毎晩寝てる子どもにごめんねという毎日です」


という悩みが生まれるのです。


しかしふたつ目の

「叩こう」と決めるまでに時間をかけ悩み本当に必要なのかどうかを考え

その果てに叩いたものは

衝動でもないので、もちろん癖にもなってません。

その場しのぎの行動でもありません。

大体こういう時は巷でいう

「心を鬼にして」「嫌われる覚悟で」

叩いています。


ちなみに私は、子どもに手が出そうになった時

(特に長男次男の3歳と1歳の時に多発した)

その場から消えました。

マッハでお風呂場まで走り、お風呂場で

「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!!」と絶叫しました。


衝動性が強く出た時は違う形で外に出せばいいので。


「子どもを叩く」という形で外に出すのではなく

「お風呂場で叫ぶ」という形で外に出してあげてました。


この「衝動」という心を。


あとは手が出そうになった時

全ての家事育児を投げて、一心不乱に大好きなアーティストのライブDVDを流して

テレビの前で本気のヘッドバンキングをしてました。

あとはコンポのスイッチを入れ大音量で音楽を流し

「ハレ晴れユカイ」を全力で踊りました。


大体そういう時は子どもはポカーンとなってますが

気がついたら一緒に歌ってたり踊ってたりしてみんなで楽しくなってたので

結果オーライやったかなぁ?と思ってます。


もちろん、衝動のままに子どもを叩いてしまったこともあります。

長男次男二人合わせて過去に3回。

長女に過去に2回です。

(もし子どもたち本人に、いや回数間違えてるし!って言われたら全力で土下座します)


長男次男の時はその場で児相に電話して泣きながら

「私は犯罪者やから捕まえてくれーー子どもを保護してくれーー」と言いました。

そして子どもたちに泣きながら

「今のはママが悪かったーーーごめんなさーーい」と本気で謝りました。

(うずくまって泣いて謝ってたから側から見たら土下座みたいになってたかもしれん・・・。)


長女の時は

(本当につい最近)

親しい方に電話で泣きついて話を聞いてもらい、そして終わり次第

娘の元に行って

「さっきのはママが悪かったーーーごめんなさーーい。嫌いで叩いたんじゃないのーー

大好きな気持ちに変わりはないのーーー大事なことに変わりはないのーーー

でもそれやのに叩いたママが悪いのーーーごめんなさーーーい」

と泣きながら謝りました。


いや、マジで子どもに不信感を持たれたり、将来嫌われたらどうしようって気持ちが

私は強いのよ。

子どもだって親のこと嫌いになるからね。普通に。

一生付き合いたくなくなって捨てるとこまで行くほど嫌いになるもん。現に私はそうやし。

嫌いで嫌いでしゃーないからこちらから縁というもの全て切らしてもろたよ。

だって迷惑やもん。


何やっても親のこと嫌いにならへんって妄想には取り憑かれてる人が多いのかもね。。

私は親子とか関係なく、相手に嫌われる行為をしてたら嫌われるって思ってるから。


私、子どもたちに嫌われたくないもん。めっちゃ怖い。嫌われるとか。

私が親に抱いてるこの感情を子どもたちも抱いてしまったらと考えただけで吐きそうになる。


けれど、反対に

私の中でこれだけは絶対に譲らへんっていうものも、もう決めていてて

これをしたら、嫌われる覚悟でボコボコにするなって項目をもう決めてる。


それが


「犯罪を犯した時」

「麻薬や覚醒剤に手を出した時」

「いつまでも自立しないとき」


というこの3点。

まぁ

「犯罪を犯しそうになってる時」

「麻薬や覚醒剤に手を出しそうになってる時」

という手間の時点。

絶対に譲らへんって決めてる。

鬼と呼ばれても構わないし、嫌われてもいい。

それでも私はその行動やそういう人生を許容しない。絶対許さない。

周りがドン引きするレベルで殴ると思う。


「いつまでも自立しないとき」っていうのは

もう自分の足で立って家から出て自分のことは自分で食べさせる。

自分の生活は自分で補う。

親ではなく社会のみんなと力を合わせながら生きていく

という努力をしないなぁと思った時は

(いわばいい歳した引きこもり)

ボコボコに殴ってでも家から追い出す。

嫌われてもいい。もう帰ってこないかもしれない。それでもいいから

私は叩く。


絶対に叩くとしたらこの3点。

すると思えてくるのが

「人生で子どもを叩く必要性ってそんなにないもんやな」と。


もしも、

衝動で叩いてしまってそれが癖になっていて

尚且つ苦しんでいるのなら

そういう時こそ児相や周りの方に

「叩いてしまったんですーーーーー」っていうてみてはいかがでしょうか?

「叩いてしまったんですーーーー」という告白に関してはあまり人は怒りませんし

穏やかに話を聞いてくれるもんですよ。

(「殺してしまいましてーーーん」という告白とは全く別の話やからね。)


「叩いてしまったよーーー(泣)」という気持ちを押し殺して人に言わずにいて

気がついたら子どもが死んでました。や

気がついたら子どもの身体中にあざ出来まくり。や

気がついたら子どもは親のあなたを嫌っている

よりかはよっぽどマシやと思ってるよ。


というかその状態で

「叩いてしまったんですーーーー」って連絡きたら

「よういうた!!頑張ったな!!」って全力で抱きしめてしまうなぁと。


だってそれが一番怖くて勇気いるからね。




叩いてしまってもその後に子どもと自分の心のフォローができるかどうか。

親は子どもの心をフォローするのは当たり前でも

その親をフォローしてもらえないと、結局は子どもをフォローできないもん。

だから、簡単に周りの方やいろんなものに

「叩いてしまったんですーーー」って言ってくれたらなぁと思います。


そして実はそういう声を長らく待っている人や行政機関は多くいるんだということを

知っていてくださいね。





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