日本赤十字社大阪支部が育てた子供。「人間の根源を知る」2

最終更新: 2019年11月6日

続き。

長いですね。私もそう思ってます。

この赤十字の話は5から7で完結にしようと努めています。

何が言いたいのか?

それは

「環境と教育」と言うのを身を以て感じたその話を書いています。



さて、

こんな感じで私は13歳の合宿を終えた。

しかしやはり鉄砲水だったので、多方面に迷惑をかけたらしい。

ひたすら親に怒られた。

ので14歳の時は行けなかったが、

私は言い続けた。

「JRCに参加させてほしい。」これを1年間言い続けた。

ひたすら言い続けた。

そして15歳の中学3年生で念願叶って私はJRCの夏の合宿に戻ってきた。


基本的に私は「諦める」と言う単語が人生の中でない。

どれほどしつこいと言われても本当にしたいことを折ったことはない。

と、言ってもある意味で折ったのが17歳から29歳までで

その間動くことが止まったので精神病と世の中で言われるものになった。

エネルギーがこんなに有り余ってるのに、世間の常識合わせに言った瞬間に

私は自分が病気になることにエネルギーを使ってたんだと今ならわかる。


とにかく親に大反対を食らっての再参加だ。

もう、何も言わせない状態で行動するしかない。

最低でも表面上は取り繕うと決めていた。

・・・無理だった。


この年も私と安原さんの大声のやりとりが行われた。


翌年、私は高校生になった。16歳だ。

やりたいことをやるために、合宿に行くお金は自分でバイトして稼いだ。

そしてコツコツ貯金をした。

毎月、お給料の半分を貯金に回した。

さて、合宿に行くか。と思ったら、

なんと入学した高校では当時赤十字社の加盟校ではなかったので活動ができないと言われた。

初耳だ。聞いてない。

母校の中学校に放課後、高校から自転車を飛ばして向かった。

そして、

「学校で加盟校違うから無理って言われて活動できないって言われてんけど、先生、一体どう言うことなん?!どうしたらいいの?!」

鉄砲水の女の子は少しは言葉のやりとりを知った。

けどヒートアップした時には冷静さを保てずそのまま先生にぶつけてしまう。

先生もそんなにしたいの?!とびっくりして

支部に連絡を取ってくれて

赤十字社大阪支部始まって以来の、加盟校でない子供の参加認められた。

飛び上がって私は喜んだ。


16歳。高校一年生。

JRCは小学5年生から高校3年生までが参加できる。

高校生となると中学生と小学生の模範解答ができるほどの行動を取らなければならない。

(と、私は勝手に思ってる。先輩たちがそうだったから)


模範解答からは遠い高校生である。


けど、この合宿やJRCで求められている基本原則なども一応は理解してる。

「とにかく、気づいて、ちょこっとは考えて、あとは行動したらいいよ!

コツはね!みんなと話し合うといい感じ!」

なんともだらしない高校生が出来上がっていた。


安原さんが徹底的に私に教えた

「最速で行きたいなら言葉を選んで発言してみんなの意見も聞いてから動け」

と言う

「人間として」自分のやりたいことを通したいならそこまでの筋道を作ることを私は学んだ。

そこにさらに「冷静さ」と言う息吹を私に入れる人が現れた。


それが森正尚氏だ。


森さんは国際人道法が専門で、国際人道法の普及や海外救済が専門の方。

阪神大震災をはじめに東日本大震災、イラン、パキスタン、ミャンマー、ハイチなどの国内外の救済活動をしている方。

災害現場での救済活動で必要とされる「冷静さ」がとことん身についてる人だ。


安原さんが燃えたぎる暑すぎるのとは対象に

森さんは静かに静かに情熱を燃やし続ける青い炎のような人だ。

とにかく動かない。

状況判断ができるまで静観に徹する。

自分がどこで動くべきか今何が必要とされていているか、最優先にするべきところはどこかを見抜くために「静」に徹する。「動」のために「静」をする。

しかし動いた時に並大抵ではできない「動」を起こす。



私は昔からこの二人のことを

「鬼の安原(さん)」「ジャックナイフ森(さん)」と呼んでいた。


森さんが発言した時はあまりに真意をつきすぎて、言葉も出なければ足も止まる。

それで(私の中で)この愛称がついている

(本当に私だけが言ってます)


このお二方は情熱的と言うところでは同じだ。

でもその情熱の持ち方が違うだけだ。


安原さんと私が織りなす「意見のやりとり」と言う白熱した大声は

私が泣き喚きながら

「ひどーーーい!!そんなことまで言わなくていいやんかーーー!!」

と言うことも多かった。

そして私は泣きながら

「森さーーーん!!安原さんがあんなこと言うのーーー!!」と言うところになってくれた。

冷静に冷静に

「相手が何を意図してるのか、何を持ってそう発言したか」と言うことを

教えてくれた。

私が言葉として口から出すものに耳の全部を集中し

私の仕草ひとつひとつを見てその上で、

「うん。お前の気持ちはわかった。あのな、安原さんが言いたいことを取り違えてるよ。言葉では確かにそう言ってるけど、安原さんが意図したいことはお前があかんとか

ダメな人間やとかは言うてないねん。きっとお前のことやから本当はわかってると思うねん。」

「・・・うん・・・。」

「うん。でな、安原さんが言いたいことはな、きっと〇〇やと思うねん。俺はね。」

「・・・うん(泣)」

そうやって冷静に私に対処してくれた。


そして森さんの後ろのだいぶ遠いところで、あの安原さんが言いたいことを堪えて

じっと待ってくれてる姿がよくあった。


この冷静さが私に反映されるようになった。


例えば、授業で(座学ももちろんあるけど、体を動かしての授業ももちろんある)

全員が例えば音をひとつも使わずに

「全員で誕生日順に並ぶ」と言うのがあった。

書くのもダメ。

声とか手を叩いて音を出すことも全部ダメ。

その中で高校生だけでも20人ほどいるこの全員、誕生日順で並ぶ。

ゴールはそこだ。


これは私の感覚にとても近かった。

この時私は生まれつきの片耳が聞こえていない状態だったので、

「視覚」に訴えると言うことがよく理解できた。

けど、全員が手話をできるとは限らない。

そしたら全員が理解できる伝達方法を考えなければならない。


ピコン!と閃いた。


ぴょんぴょんとその場で私は大きく跳ねた。

とにかく注目を集めなければならないからだ。

全員が私の方に視点を持ってきたことを確認した後、

私がとった行動は、

右手の人差し指を自分に向け、

そのあとに

左手を広げ「5」と表し右手で人差し指を一本立て

それを合わせて「6」とした後

少し間をあけて、右手の指を2本で「2」

少しだけ差をつけて、左手の人差し指を一本立てる「1」

これを合わせて

「私」「6」「21」と示した。

伝わるまで何度も。このジェスチャーを繰り返した。

全員の「わかった」と言う表情になった瞬間、一斉に動き出す。

1月から12月まで日にちを含めて何度もなんども確認作業をした後、

「できました」と声に出す。


これができた時、私は「動」のために「静」を貫くと言う意味がよくわかった。


鉄砲水の使いどころが少し理解できた時だった。


「本当に動かしたいなら徹底して静観すること」

「物事が大きほどそこを大事にする」

「一致団結のために私情を一旦自分の心の奥に直す」


それは救命救急法でも同じことが言えた。



森さんが執筆を務めた書籍。



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