母とピアノ

この年になって、いや、自分が「被虐待児」と認めてからよく思うことがある。


母は、ピアノが弾けたら幸せだったのだと思う。

父は、あの運動神経を遺憾無く発揮できる、なりたかった消防士になれてたら幸せだったのだと思う。


母は音感に関して、本当にすごかった。

おじいちゃんが音大に行かせられないと言ったらしく、そこから母はピアノをやめてしまったが、いつだって母の指は何気なくちゃぶ台の上などでピアノを弾いていた。

母が高校生で始めたギターは、私と弟の前で何度も弾き、弾き語りをしてくれていた。

母は「音楽」と生きていけてたら幸せなんだったと思う。


私が産まれたとき、母は私の産声を聞いて

「赤ちゃんはラの声で泣くんだ」と思ったらしい。

母はこの世界の全ての音が音階で聞こえている。

それは普通の生活では生き辛かったろうと感じていた。


冷蔵庫のモーター音が音階で聞こえてしまうから寝れないと言った。

テレビに出ている歌手の声を全て音階で答えてしまう。

後ろのバックコーラスの音と、前で歌っているボーカルの音が合っていないと聞いてられないと言った。

フォルテッシモがどこにあるかを見つけてしまう。

宇多田ヒカルのブレスの仕方が一般と違うのを聞き分けれてしまう。


わかっていると思うが、この世の中は不協和音が多い。

けれど母にとってこの小さな、でも溢れている不協和音がどうしても許せなかった。


こんな母のもとで育ったから、おかげで私も耳コピや音の差は分かるようになってしまったが、あれほど繊細で細かく音階を聞き分けれない。


母には、人が聞こえてない「音」が聞こえていた。

子供の目から見ても、はっきりと聞き分けていた。


これほどの才能を、あんな小さな家庭という檻の中に閉じ込めたのが

そもそもの間違いだったのではないかと思うようになった。


歌を歌い、ピアノを弾き、ギターを弾き、ドラムを叩く世界に住んでいたら

この人はどれほど輝いたのだろうかと思うことが子供の時からあった。


音楽と切ってもきれない住人に、音楽に触れれない生活は辛かったのではないかと。


それは父にも言える。

学生の時に長距離選手だったが故障し、後に消防士を志したが親の反対で諦めた。

試験をクリアし、最終面接まで行ったのにそれを親の勝手で壊されてしまったのだ。

聞いていても、もったいないと感じた。


実際、父のあの運動神経はこの年になっても、父を超えるだけの運動神経と運動能力のある人に出会ったことがない。


私は中学入学とともにバスケ部に入ったのだが、まぁ驚くほど走れない子供だったので、

実家の目の前の公園で1キロ走れるようにと仕込まれたことがあった。

私の隣で走りながら、色々指導する。

腕の振り方、足の上げ方、息継ぎの仕方、力の抜き方と。

今思い返しても、的確な指導だったと思う。

泳げない子供だった私に、平泳ぎを教え1日で泳げるようにさせた人だ。


母も父も、周りが邪魔せず、やりたいことをやれていたら、

私のような人間は出来上がらないんだろうと思った。


母と父のやりたかった夢や、母と父が大事にしてるものを

周りの大人が壊しすぎだと幼い頃から思っていた。


母こそ、音大に行くべき人だっただろうし、

父こそ、消防士になるべく人だったろう。


だから私は、どれほど反対されても、描くし、書く。

例え、今回の書籍化が母と父の大反対を食らってでも書く。


母の世界に音が鳴り響き止まらないのと同じように

私の世界で出来上がる作品が消えたことがない。

書いても書いても書いても、文字が見える。

描いても描いても描いても、絵が見える。

これが頭の中から消えたことが一度もない。


排泄行為と同じように、出さなければ苦しい。

書けば書くほど楽になる。体が軽くなる。

描けば描くほど楽になる。

けど追いつかない。すぐにまた産まれる。


今からでもいいから、音大にいけばいいのにと思う。

それこそ母こそ、芸術の最高峰の大学

東京藝術大学に行けばいいと思う。

死ぬまで弾けばいいのにと思う。

ピアノに触れていたら、弦に触れていたらいいのにと。


私が絵を描き、その絵が受賞されるたびに母と父は

「誰の血なん?」と言ってたが

私の実の父は手先の器用な人で、寿司職人として包丁捌きで賞を取る人だったらしいが、

実の父と、母、ふたりだろうと思う。


まごうことなき、ふたりの子だ。ふたりの血だ。


そして、弟もまた母と同じく音楽の子だった。


あの小さな体でアコギを弾いた時は本当に度肝を抜かれた。

11歳が弾くコードではなかったからだ。

松本孝弘を初見で弾く。

あの難解なコードが弾けるならこの日本の音楽は弟にとって簡単だろうと感じた。

世界のコードに挑戦すべきだと。


姉バカに聞こえるかもしれないが、一刻も早く夢だった東京に行き

音楽界に入ればいいと思っている。

音楽界には猛者ばかりが集まってる。

けれど弟にしか弾けない、出せない音が絶対にあると思ってる。

これは本当に勝手に確信している。


母の手が腐らないように、弟の手もまた例えいくつになろうと腐ることができないからだ。


聞こえる旋律があるなら、聞こえてしまう音階があるなら

それは他の人が持っていない才能なのだから

聞かせて欲しい。

私たちにはその音が聞こえない。聞き分けれない。


音楽を生み出して欲しいと思ってる。







そしてもうひとつ

母は、そこにいるだけで何故か目立つ人だった。

それを超えるのが、弟だ。


あの子は、何もしてなくても目立つ。

ただ立ってるだけで目立つ。

異様な雰囲気だった。

何をしても様になり、何をしても絵になる子だった。

隣で一緒に歩いていて、大きな声で「私は姉です」と言いたくなることが多かった。

あの子の隣にいるだけで私まで見られてしまう。


普通じゃなかった。

あの子は存在全てが人に見られるようにできてる子だった。

非凡とはこう言うことかと感じた。

スケールが違った。圧倒されるものを持っていた。

それは死ぬまで消えないと思う。


母にピアノが必要だったように

私に鉛筆が必要だったように

弟もまた、ギターが必要なんだと思う。


母と父が諦めたもの。

私は諦めない。

例えそれが、母と父を傷つける行為だとしても私は諦めない。

そして私の書く行為が「汚い」ものだとしても

「汚名」だと叩かれても、

この汚い私を踏み越えて、世界に出て行って欲しい。


私と弟はあの家庭で育った。

この家庭を壊し、塗り替え、新しいものを築き上げるために

私と弟は生まれてきたのではないかと考えてしまうことがある。


私は美術で。

弟は音楽で。


そうじゃなかったら、こんな能力を持って生まれてないだろう。


母とピアノ。

そこから生まれたのが、

私と弟だった。

37回の閲覧

© 2023 by Ingredients. Proudly created with Wix.com