私の人生はおもちゃだった。

最終更新: 1月14日

2015年3月

あの時私は自ら閉鎖病棟に入った。

理由は

「何とかして自分を変えたい」だった。

本当にそれだけだった。

自分を変えれるためだったら何でもよかった。

世の中で言われるご法度でも何でもしてやると思った。

だから、私は閉鎖病棟に入った。


私は、14歳の時に

自分が生まれ落ちた場所は「普通」とは違い、

どこかが変で何かが間違ってるのだろうとわかってしまっていた。

けれど、

それが

「何が」「どこか」「どう」「誰が」

間違っていておかしいかと言う追求はしなかった。


怖かったからだ。


心の奥底で感じてるこの気持ちに、ちゃんと名前があり、

そしてその名前を言えば

私の人生が崩壊することをわかっていたんだと思う。


それを無作法に(見える)私の心の中にズケズケと入ってき

なかなか聞かないであろう汚い言葉を口から吐き出す人に出会ってしまった。


それが、あの時の主治医だった。


「診察」と称される

「二人の罵り合い」は自分でも言うのも何だが

よくこんなにラリーが続くものだと感心した。


そして主治医はある時私に言ったのだ。


「虐待ってあるじゃん?あれさ

【私、虐待されたんですぅ】って言う人ほど酷くなくてさ

だから僕は聞いてしまうんだよね。

え?どんなんだったの?聞かせて聞かせて?めっちゃ面白いじゃん?って。」


その言葉を聞いて私は酷くムカついた。

なので心の中で思った。

「テメェなんかに死んでも言ってやんねーよ。死んでもノートに実家の家族のことなんてかかねぇし、あんな苦しいものをそんなチャラけた言い方されるぐらいなら一生口を割らないね」


と。


もちろん、この言い方は主治医は計算してこの言い回しにしたなと今ならわかる。


でも私も私だった。


その日の晩私はちゃんと気づいたのだ。

ベッドの中で

「・・・って言うかそう感じる時点でダメやん。相当やんか。

どんだけやねん」と悔しさで歯を食いしばった。


そう。私は「名前」をつけないでいようと頑張っていたのだ。

自分のされた行為に。

自分が置かれていた環境に

その「名前」をつけないでいようと必死だった。

私の中の常識がひっくり返る。

それは「世の中」ではなく

「私の中」ではご法度だった。


その名前が「虐待」だった。


自分が「被虐待児」であり、

自分の親が「虐待者」である。


この名前がいかに、おぞましく

そして

恐ろしいことかを

私はどんな本よりも、どんな偉い人よりも

知っていて、そして理解していた。

心から。からだから。


2015年のこの時から私は

私の過去に起きた「虐待」を追求する人生が始まった。

皮肉なことに調べれば調べるほど、

私の人生の針はちゃんと動き出すのだ。

勉強すれば勉強するほど

探し続けた

私と言う人物がちゃんとどこにいるかが理解できてくるのだ。


ちゃんちゃらおかしい。


けれど、やはり、退院したのち、カウンセラーに

「それは虐待ですよ」と言語化された時に心から安堵した。

安堵した理由はとても簡単だ。


よかった。私が何かが変だと感じてきたこの感覚は間違ってなかった。

私が頭がおかしいではなかった。

この感覚を持つ私をおかしいと殴り続けた親が変だった。

ちゃんと親が変なだけだった。

私が信じてたことは合っていた。


だ。


あれから私自身が心理カウンセラーになり、

知識や体験が増えたおかげでいろんな苦しみにあった。

本当、お陰様で驚くほどの苦しみに出会った。


心理カウンセラーになったおかげで

私は誰よりも自分自身に心理療法を試みた。

認知療法に始まり、認知行動療法、NLP、ゲシュタルト法、精神分析

ヒプノセラピー、暴露法に、心屋式、家族療法

とまぁ、引くほど自分にセルフカウンセリングをしてきた。

脳医学、脳科学、認知科学、精神医学と

自分で言うのもあれやけど、狂ってるわなと言うぐらいやった。


それだけ苦しかった。

地獄だった。


少しでも楽になれるんだったら何でもよかった。

この「虐待」の傷が癒え

未来が明るくなるなら手段などどうでもよかった。

子供達に連鎖しないならどんなことでもできた。


そうやっていろんな感情の解放をやっていくと

感じ出すものがある。


まず、虐待された人間は他のそうではない人間と比べると

「抑圧」されてる感情が多い。

以前書いた、精神分析の中で

感情の「昇華」までの道のりの一番初めのスタートが

この「抑圧」なのだが、

これをまずは認める。

「私は自分でも意識してないほどにたくさんの感情を殺してるんだ」と

まず認める。


パンドラの扉を開ける覚悟ができた時だ。

そして開ける。


開けた先に待っているのはまず、

桁違いの負の感情に頭からかぶることになった。

「苦しい」「辛い」「寂しい」「悲しい」「痛い」

「暑い」「寒い」「消えたい」

「さみしい」「さみしい」「さみしい」「さみしい」

「さみしい」「さみしい」「さみしい」「さみしい」

「さみしい」「さみしい」「さみしい」


・・・・・「憎い」


感情というものの第一次感情は

「悲しい」「さみしい」というもので

実は言うと

「怒り」と言うのは本当の感情ではない。

「怒り」とは

二次感情であり、

一次感情の「悲しい」の上に成り立つ。


だから簡単に言うと怒ってる人というのは実は怒ってないのだ。

根底の「悲しい」という気持ちを

「怒り」で代わりに出してるだけに過ぎない。

(虐待している人間は誰よりも悲しみ恐怖に塗れている)


「憎い」という怒りが湧いてきたときに

ラッキーだと思った。


頭から被っている負の感情の終わりが見えたときだった。


ちなみに、この負の感情を逃げずに感じ、

対峙し、自分の中で整理をつけて処理しよとするとき、

身体の反応としては

吐き続け、下痢が続き、体重は減少しまくる。

食べたくてもうけつけずに、終いには食べる気力もなくなる。

水すら吐くようになる。

(私の場合です。)


で、

こんなことをもう4年も繰り返してるわけだ。

よくやってるよね。私。

でも続けれる理由がある。

それは、

「虐待が起きた理由」や

「生きずらかった理由」がわかるから楽になるのだ。


だからできてる。


少しずつ少しずつ、

解放された先にある「感情」に出会う。

生活の中に「普通」というものが入り込んでくる。

その普通を認識したとき

いかに自分が

狂っていて

「異常な世界」にいたかが理解できてくる。


例えば、

タバコを吸ってる理由が息を吸うことだった。

9時に無理矢理部屋に押し込められ

「絶対に眠らなきゃならない」状態で

布団から出て何かをすることは許されない。

親たちはリビングにいて、私は自分の部屋にいるのに

そこまで私の行動は監視され支配される。


寝ていなかったらしている息の種類が違うから

「起きてる」とバレるのだ。


バレたら終わりだ。

なじられ、蹴られ、殴られる。


だから息を殺す。


それが私にとって

「普通」で「当たり前」だった。


私は「ニンゲン」ではなかった。

ただのサンドバックであり、

そして汚物を処理する便器だった。


日常の中にある小さな一コマ一コマが

「おかしく」「気持ち悪く」「異常」であった。

それが私の人生の全てを構築していた。


生きてるだけでも奇跡を通り越して

おかしすぎる。


私は本当に「生存者(サバイバー)」であった。


今の夫に出会い、

いや、もっというなら今までの人生の中で

実家の親とその親族以外で

出会ってきた全ての人のおかげで

今の私は成り立っている。


その人たちの懸命な愛情と看護のおかげで

私は生存している。


最近、というかこうやって過去のことを振り返り

言葉にし、口から出し

なんだったらここで言語化にして文字に起こす。

そういうことをしていて

知らなかった感情に出会う。




娘を生み、3人で暮らし、バタバタしているが

目も回る毎日だが

ある時から

不思議な感覚に襲われるようになった。


それが

「何をしても満たされない。」

だった。


今までもこの「言葉」は使っていたけど

同じ言葉でも意味が違う。


生活や情緒は満たされている。

何かが満たされない。

なんだろう。とすごく悩んだ。

こんなに幸せなのに

どれほど私はわがままで傲慢なのだろうかと

まだ「足りない」というのかと

自分を呪いそうになった。


そこで夫に相談したらこんな言葉が帰ってきた。


「彩さん、それは普通の感覚だよ。変じゃないよ。

君はようやく自分の力を試したくなったんだよ。

家族がいて安心できる場所がある。

その次の社会での自分の立ち位置や社会での自分の力がどこまであるのか

やってみたいんだよ。

やっと訪れたね。」


と言われて私は驚愕した。


みんなこんな感情になるのか。と。

これ、普通の感情なんだと。


そして私は

「私、子供好きだから幼稚園の先生になってみたいなぁ。

あ、学校の先生もいいなぁ。でも花も好きだからお花屋さんも素敵だなぁ」


と思うようになっていき、それを夫にもニコニコと話してしまうようになった。

地に足のついた未来の夢を見るようになった。


夫には

「僕は今、幼稚園ぐらいの女の子が夢を語るのを聞くあの微笑ましい気持ちで聞いているよ」

と言われ、赤面したが、


この感情が私には嬉しかったのだ。


体験したことがなかったから。


実は言うと、私は一番最初の高校受験も

親の支配下に置かれたのだが、

私立の受験は許さない。公立高校一本のみ。

だった。


理由は

「行きもしない私立を受験する金が無駄だ」だった。


担任が実家のリビングで

私の親たちに必死に頭を下げて

「お願いだから滑り止めで受けさせてあげてください!」

と頼み込んでいた。

翌日、申し訳なさそうに担任に謝られたのを覚えている。

学年主任と担任がうなだれて

私と3人で進路を決めた。

成績は悪くなかったからだ。


いまだに、先生たちに申し訳ないと思ってる。

本当にごめんなさい。と。


どうでもいい高校に受かり通っていても

美術の専門学校もいきなり金払えないと言われて退学させられるのだ。

そりゃ、家も飛び出る。

高校もやめるわ。


しかし、まだすごいことをする親なので、こんなことで止まるわけないのだが。

(心理的虐待が)


高校を辞め、働いていたときのこと。

私はとある高校の編入試験を受けた。

けどそこは、

大阪の名だたる高校生が不登校を理由に学校をやめ、

けどもう一度高校に行くために受験をしにくる高校だったので、

まぁ、レベルが高い。

プール学院から四天王寺高校、星光に、灘高校、東大寺と勢揃い。


秒で

「こりゃあかん。落ちたわ。来年もう一回受けるために受験勉強頑張ろう」

と思いながら入試を受け、見事に落ちた。

(この高校を選んだ理由は昼間の定時制高校だったからです。夜間だけは絶対に嫌だった)


そんな気持ちで働いてたらバイト先に親から電話がかかってきた。


「願書出したから、今から入試やから帰ってこい」と。


流石にブチ切れた。

何を勝手にしてくれとるねん。

まじで私の人生、

お前らにとってゲームやねんなと。

サイコロ振って出たマス進めるボードゲームの感覚やん。

と心の中で叫んだ。

(口に出したら殺されるので出しません)


職場にどんだけ迷惑かけるんだと。

でも当時私は未成年。

言われた通り実家に帰って編入試験を受けるしかなかった。

(受験勉強もしてないわ!)


その夜間高校、(しかも夜間高校!あんだけ嫌って言ったのに)

私の卒業した高校名が、

知る人ぞ知る


大阪府立四條畷高校


と言う公立高校です。

大阪府の中の公立高校で偏差値が

2019年で7位。

学区ではトップです。


だから、学歴コンプレックスなんです。


昔は四條畷高校には夜間定時がありました。

昼間の普通科と比べたらガクッと落ちます。

理由は皆さんほとんど

「勤労学生」だからです。

で、これだけなら別にいいんです。


卒業してから知ったんですが、

親が言いふらしてたんですよ。

「娘は四條畷高校だった」と。

虫唾が走りました。

自慢したいがためだけに無理矢理入れたんだなと。


同級生たちが

昼間の普通科も夜間の定時も

血の滲むような努力の中で通うんです。あそこの学校は。

昼間の普通科は死ぬような勉強量。

夜間の定時は死ぬような覚悟量。

なので私の学年は夜間定時制

300人で入学して卒業したの16人です。

キッツいんです。

そんな事も知りもしないで自分たちの名誉のためだけに

無理やり入れさせられて、

何が誇れるねん!自分の学歴。

自分から志願して行ったなら誇れるけど

こんなもん腹たつしかあらへんわ!


しかも、通ってる最中で先生から呼び出されて

(昼間は仕事してそのあと学校です)

「あのね、学費入ってないねん」と言われました。


親、学費まで放棄し出しました。

無理矢理入れといて。

しかも編入で入ったので修学旅行の積立金一年分多めに払わないといけない為、同級生より高い。

その学費を放棄という。


もう、ここまできたら喫茶店でバイトなんて言うてられません。

生活費もあるし、携帯代からの通信費、食費に、通学費

息してるだけで金かかるのに

お金足りません。


と言うことで

「もうええわ。体売るしかあらへん。そうでもしないと学費は捻出できない」

となって、風俗の世界に入りました。


根性で3年間通い、働き続け、無事卒業しました。

ちなみに、父には卒業式の後になじられました。

「お前の努力じゃない。先生の情けで卒業しただけや」と。


土下座してたんですけど、

心の底から

「勝手に言うとけ。それでも卒業したのは全て私の力じゃ。お前はただ邪魔してきただけじゃ。

負け犬の遠吠えにもほどがあるわ。」


と口から血出るんちゃうかな言うほど下唇噛みしめましたわ。


なので、私は学歴コンプが激しいのです。


言われるがままにやってしまったと言う後悔の念が。


そして同級生に本当に申し訳ない。

いつも心から謝罪してます。

まじでごめんなさいと。



で、長くなったけど、

私には

「どこそこの学校行きたいな」とか

「将来こう言うことをするために道を考えよう」とか

「この仕事に就きたいから」とか

そう言うことを考えれる時間もお金もないし、


何よりも

そういう感情を持ち合わせてなかったんです。

だから、そう言うこと考えれたり、

そう言う思考にいるときに

ワクワクするとか楽しそうだなとかそう言う感情があるとは知らなかったんです。



こう言う気持ちを知るときに絶望もやっぱりする。


「私の時間、返してよ」と。


どうして、私の時間を使う権利が彼らにはあったんだろう。


そして

一般的には親がかけるはずの教育費をどうして私は自分でしなきゃいけないのだろう。

将来大学に行きたいとかそういうものを

子供と夫という私の家族を巻き込んでまで。


そんな権利、彼らにあるのだろうか。


ないよ。


そしてこの家庭で起こる権利濫用が

子供が大人になったときに警察にも言えないし、法でも捌けない。


言っても親には何も痛いことは起きない。


法律とは、誰かに何かされたとき

人生で起きるはずがなかっことを起こされたときのために

法律があるはずなのに、


親を守る法律ばかりで

子供が守られる法律はない。


「殺されない」限りは

親が罰を受けないのが「虐待」だ。


だから、被虐待児は死ぬのだろう。


大人になっても「自殺」で訴えるのだろう。



だいぶ、長くなったので一旦切ります。




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