第一章、全文公開



BGMに

king gnuの「prayer X」をかけて読むといい感じになる。

https://www.youtube.com/watch?v=L-Bzhpm8h0o


まず第一章の全文無料公開をします。

編集も何も入ってないそのままの原稿なので誤字脱字や言い回しが変なのがありますが

気になさらず。

というか編集させないつもりで書いてるので本になってもあまり誤差はないようになるはずです。

(担当さんと編集さん泣くわ)


では、以下が第一章です。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「虐待攻略ーおもろい人生の作り方ー」




どうか弱いままでいてください。

強くなろうとしないでください。

何故ならば、もう強いからです。

これ以上強くなったら、余計にひとりぼっちになるだけです。

誰もそんな鋼のロボットのような人間、望んでません。


そして


「虐待された」という過去を消そうとしないでください。

何故ならば、

それを含めてあなたは「美しい」からです。

「虐待されたから残りの人生も全部悪い」って

人生、そんな単純じゃないっす。



はじめに。

「虐待というネタ振り」


ぱっと世界が変わる。

「ママ!」と呼びながら私に抱っこをせがむ娘が目の前にいる。

そうだ。私は今洗濯物を畳みながら娘を見ていたのだった。

日曜日の今日、夫は趣味の献血に行っている。夫が帰ってくるまで娘と二人で過ごしていたんだった。

そうだ。

ここが私の「今」の世界だ。

ほっと胸を撫で下ろして娘を抱き上げる。

「どうしたの?眠たい?おもちゃ飽きちゃった?ママと自転車にでも乗ってお買い物に行こうか?」

そう娘に話しかける。

安心したのか娘はコックリコックリと私の腕の中で眠りだす。

涙を堪えながら私は娘をぎゅっと抱きしめた。

「なんて幸せな世界なんだろう。この幸せをずっと願っていた」そう思いながら。


よく人に聞かれる言葉がある。

「どうしてそんな環境にいたのに犯罪者にならなかったの?どうして幸せになれたの?」

と言う言葉を度々人に聞かれる。


理由はとても簡単だ。


私が被虐待児だったからだ。


「被虐待児」とは虐待されている子供、または子供だった者。

私は虐待を受けて育った。


だから犯罪者にならないし、幸せなのだ。


なんだか今の社会では「被虐待児は負の連鎖を続けて不幸になる」と言うのが常識らしい。

誰がそんな嘘をついたのだろうかといつも考える。

けど私も過去に、その嘘に踊らされた人間だった。


本書に書かれるものは奇をてらいすぎてるかのように思うほど、

「あり得ない話」が詰まっている。

簡単に言うと

「虐待を受けた人間が不幸になるって言うの大嘘だよ」と言う話だ。

言い方を変えれば

「虐待を受けた人間が幸せになる方法」とも言える。


社会の常識の言うとおりにしていたら不幸になるが

被虐待児には被虐待児の「幸せのなり方」がちゃんとある。

それを伝えようとしているのが本書だ。


過去に虐待を受けたことのある皆さん、

あなた達に伝えたいことがあります。


「虐待」と言うのは漫才で言うところの「ネタ振り」です。

他の人よりも大きいネタをもらえました。

ネタが大きいと良いことがあります。

「ツッコミ」が沢山入れれて、そして誰よりも「オチ」が面白いのです。


めっちゃ「面白い漫才」の出来上がりです。

今年のM-1の覇者になるのは約束されたも同然です。


何が言いたいかと言うと

「虐待」と言う「ネタ振り」は

「面白い漫才」と言う「最高の人生」が待っています。

この最高の人生が約束されているネタをもらった私達は本当にツイてます。

「虐待されてラッキー!」です。


元々、私自身も

「被虐待児ってなんて最悪な人生なんだろう・・」と思って生きてきたのですが、

カウンセラーになってしばらくした時に、

カウンセラー仲間にあることを言われたんです。

「もし、彩花の人生を歩めと言われたら絶対に嫌やけど、でもその経験が羨ましい。

カウンセラーになって身に染みた。

クライアントさんの相談内容によっては重たすぎるものは

こっちも答えられへん。だって経験してないからさ。

そう思った時に、彩花がカウンセラーとして、どんな重たいクライアントさんにもカウンセリング出来て

どんな相談にも答えれるってめちゃくちゃ強いなって。

本当に羨ましいわ。こんなこと言うたらあれやねんけどさ」


そう言われた時に、「なるほど!」と思ったんです。


実は言うと私は、カウンセリングでどんな相談内容が来ても困ったり悩んだりしたことがないんです。

どんな内容も「想定内」だからです。

重たく感じないんです。


この時に

「もしかして虐待って環境、超美味しいんちゃうん!?めちゃくちゃラッキー者かもよ!?」

と閃いたのです。


そこから物の見方を変えてみたら

出てくる出てくる

「虐待されてラッキー」と思う物事や考え方、見え方や生き方。


「あかん!どう考えても最高のおもろい人生しか待ってへん!」

そう思った瞬間に

「おとん、おかん、虐待してくれてありがとーーー!!

おかげでこんなに幸せな考え方になれたわーー!

カウンセラーとしても人間としても最高やわ!」

と一気に恨み辛みが昇華したのです。


だから必要以上に落ち込まないで欲しいのです。

死にたい気持ちもわかるし全否定しないけどちょっと待って。

私も引くぐらい自殺未遂してきたから気持ちは理解できる。

それでもちょっと待って。

この本読んでからでもよくないですか?

「普通の人」とはやり方が違いすぎるけど

でも、

めっちゃ面白くって最高の人生、やってみませんか?




はじめに

虐待というネタ振り

第1章

環境と教育が人生を決める

環境と教育は育てられた親と家で決まるという嘘

必ず人にはもう一つの「実家」がある

親以外の人を模範にして良い

あの時の自分が欲しかった環境と教育を自分にプレゼントする人生が始まる

生まれ落ちた瞬間「負け」だった。残る人生は「勝ち」しかない

第2章

育った場所の非常識をやり続けると常識人になるカラクリ

温かい食卓が毎日繰り広げられるというあり得なさ

被虐待児にとっての非常識を毎日やる

嘘だと思ってたことが全部「本当」

想像以上に世の中が優しすぎる

地球人という常識人になる

第3章

結婚して子供を育てるほど幸せになる

「あの親と同じことをしていない」という安心感が得れる

育児とは子供を通してあの時の幼い自分が生き返る作業のこと

「産める」より「育てれる」という価値

被虐待児には「育てる才能」が搭載されている

「自分は虐待されていたんだ」と自覚する事の重要さ

第4章

被虐待児が一番幸せになりやすい

虐待を受けた人は世界一のラッキー者

殴られないことが当たり前らしいよ。マジで?

少しの優しさが染みすぎる単純者。これを素直という

びっくりするほど沢山の人に愛される

ひねくれてる暇はない。今すぐ感謝し続けたくなる人生に。

最終章

誰よりも人を「愛せる」能力が高いことを自覚する

被虐待児が一番辛かったことは「愛せない」ということだった

「愛されたい」のではない。「愛したかった」のだ

「愛する」対象がいない恐怖心

人には出来ない「与える」が簡単に出来る被虐待児

世の中は「与える」人を待っている



第1章

環境と教育が人生を決める

「環境と教育は育てられた親と家で決まるという嘘」


初めまして。

著者の北隅彩花と言います。いきなりですが

虐待されそして虐待を繰り返してしまうのは、遺伝のせいでも育てられ方のせいでもありません。

「虐待を止める方法を誰も教わっていない」ただそれだけです。


「環境と教育が人生を決めるって目次に書いてますけど?!」という声が聞こえそうですね。

ここまでの文章なら確かに、冒頭を全否定しています。


理由は簡単で、

「虐待を受けたら虐待を繰り返す」という教育でそういう教育が蔓延する環境でした。

こうやって書いたら全肯定になったかな?


まぁ、この章で何が言いたいかというと、

「虐待を受けたら負の連鎖を繰り返すという教育をやめませんか?」という話です。

新しい概念を一緒に作っていきませんかね?というお誘いです。

いや、もう基本となる部分は出来上がっていて実践したら本当に幸せになったから

あなたも実践して幸せになってみない?というお誘いです。


なぜ誘うかって?

だって一定数の数が集まったら証明できるじゃないですか?

「虐待受けたけど、誰よりも幸せになった!」って。

そしてその数が集まったら、医学と法律を変えれるかもしれないじゃないですか?

腹立ちません?今の法律。

生きれば生きるだけ損が多いんですよ。


さて、私のことをすごく簡単に紹介したいと思います。

普段は自宅のカウンセリングルームで心理カウンセラーをしています。

子供は3人。10歳の長男8歳の次男1歳の長女を産ませていただき

念願の「お母さん」にさせてもらいました。

現在の結婚は3回目。

長男次男は岩手県で前夫の家族と暮らしています。

そして現夫、長男次男長女、前夫家族ととても仲良しです。

私は京都で現夫、長女と3人暮らしです。

ざっと書いただけでも、すでにツッコミどころしか無いと思います。

けど私のことを書き出すと違う本が一冊出来てしまうので、それは次回の本に持っていきましょう。


沢山のツッコミどころ満載の私ですが、

掃除機で意識がなくなるまで殴られ続け、吐くまで食事を入れられ(吐くことは禁止、お腹いっぱいでもう食べれませんという感覚を持つことも禁止)

高校の学費も払ってもらえず(しかも勝手に願書出して無理くり受験)

やりたいことはやらせてもらえず、やりたく無いことをひたすらやらされ続けるという

(勿論ですが3歳の時には親の好奇心でタバコ吸わされました。苦しいっつーの)

今の社会では犯罪として扱われる、

わっかりやすい「虐待」という環境で生まれ、にょっきりと大人になりました。


因果応報という言葉があるにも関わらず

親自身の未来を捨てた立派なネタ振り。

その博打精神は本当に尊敬しかない。

ここまでネタ振ってくれたらもう最高の人生(面白い漫才)しか見えてこないよ。


で、

こんな環境下で14歳の時に

「これ・・絶対に変だよね?」と疑問を持ち、ある事件をきっかけに

「人間は環境と教育で人格が形成されるのだ!」と確信し、

この14歳の時から絵を描くことと漫画を読むことと共に

「どうやったら虐待されても子供を育て幸せな家庭を築けるか」という疑問を解消する事にほとんどの時間を費やしてきました。


なので自信を持って言います。

「虐待されても幸せになれるよ。しかも怖いぐらいの幸せで」と。


ある意味証明してると思います。

「環境と教育は育てられた親と家で決まるという嘘」というのを身を以て証明していると自負しています。


それに

心理カウンセラーとしても一言申したいこともあります。

今、世の中で流行っている心理療法は「一般向け」に作られた概念でしかありません。

「虐待を受けたことのない人」が「虐待を受けた人」に効果があるかもしれないと療法をしているのです。


その療法は

「虐待を受けたことのない人」が「虐待を受けたことのない人」に効果があるもので

「虐待を受けた人」に効果がなくて当然なのです。


数ある精神薬や心理療法に効果が出ない理由はこれです。


体験もしてなければ経験則でもない、なんともあやふやなことを堂々と療法として施され、

大声で「正しい」みたいに言われるのは大変、困ります。

なぜかというと

大人になった被虐待児の行き場や生き場がどんどん失われるからです。

この

「虐待を受けたことのない人」が「虐待を受けた人」に間違った療法をすることが

今の「虐待しやすい世の中」を量産し、そして

被虐待児である私のような「生きづらい」とされる人も量産していくのです。


「育児は習うものではなく慣れるもの」みたいな、雰囲気でわかってねという時代は終わりました。

兄弟は3人いたら多い方で子供に触れたことがない人が親になる時代です。

「真似る」ことすらできない時代です。


はっきり言います。

育児は習うものです。教えてもらうものです。

背中を見て勝手に育つではなくなってしまったのです。

なので

「親と家」で人格が決まり人生のほとんどが決まるということでもなくなったのです。


でも

「環境と教育」が人間を育てるのは事実です。


さて、どんな環境で教育でしょうか?


「必ず人にはもう一つの「実家」がある」


人は生まれた場所で育ちます。

または生まれた場所とは違うけど何かのご縁で血縁関係のない人の元で育つこともあります。

血がつながってるとかつながっていないというのは関係なく

人には大元の育った環境というものが必ず一つあります。

それを「実家」という言い方をします。

そして、この実家で育った環境、この実家で自分を育てた人の教育で

自分の性格または人生が決まるというのが今までの常識でした。


この固定概念が被虐待児を苦しめてきたのです。


「汚れた環境で育った人間は人を汚す」

「虐待されたものは虐待を繰り返す」


というまるで生まれながらにして汚染物のように被虐待児を扱いますが、

そもそもの話が違います。


どうして彼らが全員揃って必ず

「虐待をする、負の連鎖を繰り返す」ではないかというと、

見出しの通り

「人にはもう一つの実家があり、そのもう一つの実家を居場所にしている」から。


簡単にいうと

「生まれ育った場所を居場所にしていない」という事になります。


さて「もう一つの実家」とはなんでしょうか。


すごく簡単です。

育った家以外のコミュニティ、または育った家以外の世界観です。


いきなり私の話をしたいと思います。

私は中学1年生13歳の時に日本赤十字社大阪府支部の「青少年赤十字」というボランティア活動を19歳まで続けました。

みなさん知っての通り、赤十字社とは「人道」を目的とした組織です。

「人道」です。人の道です。

「人間とは何か」ということを徹底的に教えてもらいました。

大阪府支部、ここが私の居場所です。

・・・・・ちょっと待って。

「そんな珍しい活動できたからでしょ」なんて言わないで。

まだあるから。あるの。

じゃあ、13歳までは「育った家」以外、どこに私の居場所があったと思いますか?

それは学校です。

本の中です。

そして誇れオタクたちよ!漫画の中です。


「育った家」以外に私には

小中高の学校、赤十字社、そして本の中に漫画の中。

これが私を今日まで立派に育ててくれたのです。

学校の先生たちに、赤十字社の恩師達、そして本の中の登場人物たち。

彼らが私の親で教育者であり

学校、赤十字社、本の舞台が家で環境でした。

そうです。

この三つが私にとって「実家であり」「育ての親」であり

私の性格と人生の決め手となった

環境で教育なのです。


実はいうと皆さんとある落とし穴にはまっています。

それが

「育ててもらった人、家(ここでなら親などの療育者)の教育と環境を絶対に真似しなきゃいけないし、真似てしまう」

という思い込みにはまっていて

これが苦しみを生む原因となっているのです。


と、いうことは逆説的ですが

「育った家、親」以外の教育と環境を真似てもいいという事になるのです。


さてこの「育ての家」以外があったのは私だけでしょうか?

いいえ。

きっとこの本を読んでる大半の方にも必ずあると思います。

では次でその具体例の話をしたいと思います。


「親以外の人を模範にして良い」


さて、具体例を私の経験から話させてもらいたいと思います。

まず私は自分の「親」の教育はフル無視でいく。ということを14歳の時には決めていました。

親のどの教育かというと

「自分が育てる子供には、こんなクソみたいな育児と教育は絶対にしない」という事です。

最初から模範にする気が無かったのです。

「親のしてる事、私が親にされている事、全部逆をやる」と。


例えば、

殴らない、蹴らない、脅さない、無視しない、パチンコに行って車の中に長時間残さないなど

大きなことから、小さなことまで、

親のしてることの全てを子供に向けないと決めていました。


理由は、クソほど嫌だったからです。

もう本当に、いっそのこと殺してくれたらいいのにと本気で考えるほど嫌だったからです。


代わりに

「こんな人になりたいなぁ」または

「こんな人が自分のお母さんお父さんだったらいいな」と思う人たちの行動を真似て行きました。


漫画、SLUMDUNKの安西先生の名言

「諦めたらそこで試合終了だよ」という言葉をどれほど自分に言い聞かせたことでしょう。

そして

「いつかは子供が何かで悩んだらこの言葉をかけてあげよう」とも思いました。

(未だその時は訪れていませんが)

漫画、「赤ちゃんと僕」に出てくる主人公の拓也が弟の実にかけてあげる言葉や行動を見て

「私は子供にこういう風に接しよう」と思いました。

映画、「となりのトトロ」に出てくるサツキとめいのお父さんの子供の育て方を見て

「そうか、お弁当を作ってもらって嬉しさのあまり机がガンガン揺れるほど騒いでも殴らないでいいんだ。

こういう風に穏やかに諭したらいいんだな。よし。私もこれを真似させてもらう。・・・大人になったら」と思いました。

中学の理科の先生で、堂々と実験に失敗しそして

「ハハハハハ!すまんすまん!!」と豪快に笑い、素直に謝る姿を見て

「そうか。こういう風に失敗しても子供のせいにせずに、謝ってもいいんだ!よしこれをいつか自分の子供にしよう」と思いました。

赤十字社の恩師たちが必ず

「それはどうしてだと思う?考えてみろ?」と行った後に必ず考える時間をくれました。

「そうか、子供に時間を与えてる時って大人って待ってくれるんだ!よし!私も子供が生まれたら待てる大人になろう!」と思いました。


こういう書き出したらきりのない沢山のことを、

今日まで全部実践してきました。全部です。

(いや、全部は言い過ぎた。まだ実践できてない漫画は沢山あるわ)

そしてその中には一つも親の行動は入ってません。


意識をして模範にする人、模範にしたい人、真似ていたい人をずっと選んできたのです。


その結果、今の私が存在するのです。


何が言いたいかというと、

虐待を受けても受けていなくても、

教育と環境は自分で好きなように選んでいいんだよ。

誰もが。


ということが言いたいのです。


それは

「人生の中に沢山のお母さんとお父さんが居る豊かで幸せな人生だよ」

ということなのです。



「あの時の自分が欲しかった環境と教育を自分にプレゼントする人生が始まる」



さて、ここまで書いたら聞こえてきそうですね。

「そんなのこの歳になってから知ってももう遅いよ!10代でなんかわからなかったよ!」

という声が。

大丈夫。

今から書くことは幾つになっていても始めれる

「最悪な人生」だと思ってたものを

「最高の人生」に変換する方法ですから。


というか早く気付いた方がいいと思います。


「最悪な人生」って思ってる事がそもそも騙されてるということに。


だってよく考えてみて欲しいのです。

自分の人生が始まった場所(実家)から出た瞬間、社会に出た瞬間、見える景色全部

「ありえないほどの自由」と言う素晴らしい事実に。


これって「一般の人」は感じないらしいんです。


幸せを感じるハードルが一般と比べると私たちって低すぎるんです。

「被虐待児が不幸になる」って幻ですよ。


でも

確かに私たち被虐待児は、えげつない人生の始まりでした。

それは本当で嘘にもできない。

あまりの酷さに自分に嘘つけない。

だからと言ってその酷さが永遠と続くっていうのも嘘です。

後、被虐待児が幸せになるには相当な努力をしなきゃ幸せになれない。

というのも嘘ですよね。

なぜかと言うと

あれと比べたら世間のほとんどのことが苦にもならないっていう感覚を持ってる時点で

相当な強さで引きの強さで、そして強運の持ち主だからです。

もうすでに相当な努力がし終わってて尚且つなんでも幸せに感じるセンサーの持ち主なのです。


ただ、「被虐待児は不幸になる」という本当かどうかもわからないことを信じて今に至るだけ。


さてここからは誰でもできる実践方法を書いていきます。

けど

覚悟してた方がいいです。

やってしまったら毎日が楽しくなるから。


けど、もう一つの覚悟もしてた方がいい。

なんの覚悟かといいますと


「固執していた親からは何も貰えず、最初から愛されてもなかった。」


ということを認める覚悟です。


きついよね。

でも大丈夫。

それを上回る人生があなたを待ってる。


さて、もう本当にざっくりと簡単に書いていきます。


あなたが欲しかったなぁと思う「教育」をイメージしてみてください。

私の話なら漫画や映画や実際に出会った先生たちに

「掛けてもらいたかった言葉」

「掛けてもらって嬉しかった言葉」

または

「してもらいたかった行動」

「してもらって嬉しかった行動」

を思い浮かべてください。

イメージできましたか?思い浮かべることができましたか?

もし可能なら紙にペンで書いてください。

これには理由があります。

手を使い(触覚)目で見る(視覚)ことで

大脳に訴えかけるのです。

簡単にいったら大脳を騙すのです。

あの人(大脳さん)めっちゃ単純ですぐに騙されるんです。

そこに情報として触覚と視覚と言う違うルートから騙しに行くのです。

まぁ、頭の中で思うよりも

全然性格の違う二人が同じ内容を言ってたら信じてしまいそうになるじゃないですか?

それです。

さらに口から声を出して耳を使う(聴覚)とこっちのもんです。

あの人(大脳さん)を手に納めたも同然です。いえ、納めましたね。えぇ。


で、次にこのイメージができましたら早速いきましょうか。

ふふふ。

誰でもいいので、

「されたら嬉しいな」「掛けられたら嬉しい言葉」をあなたが人にしてみてください。

意外かもしれませんが、

「してもらう」じゃなくて「する」方です。


これはね、ちゃんと理由があるのです。

実は言うと頭の中でイメージして何度も何度もその人(憧れの人や教わりたかった人)に

「してもらいたかった行動」「掛けてもらいたかった言葉」をシャワーのように浴びてると

それを「経験した」と感じるのです。


そして次に「人にする」と言うことで

「虐待された。けれども良い経験もした。そして私は良い経験の方を選んでそれを人にあげれた」と言う

経験値がつくのです。


自信ですね。


そこで実際誰かにして「ありがとう」ではない言葉だってたくさん言われるでしょう。

「こんなの余計なお世話よ!」とかも言われるかもしれません。

それでもやってみてください。

なぜかと言うと

「〇〇をして悪く取られた」

と言うのはどうでもよくて、

「親に散々なことされたけど、自分は親とは違うことができた」と言う経験が

何よりもの成功だからです。


そして、もし余裕が出てきたらこれを頭の片隅に入れて欲しいです。

「こんなの余計なお世話よ!」とかをあなたに言ってくれた人は、過去に

「あなたが親に言いたかった言葉を代わりに言ってくれた人」です。

あなたの代わりに言葉を口から出し、その気持ちをどうにかして楽にしようとお手伝いしてくれた人なのです。

優しい人ですね。

気づいてきたでしょうか?

過去にあなたに「酷い」と思う言葉を掛けてきた人がきっとたくさんいたと思ういます。

(被虐待児は何でもマイナスに捉えやすい傾向があるのでこう感じる人の多いこと)

彼らは、あなたが幼少期に感じていた気持ちを感情を代わりに感じてくれて、しかもわざわざ

昇華という感情のお葬式までしてくださっていたのです。

こう考えると過去に出会った皆さんが愛しいですね。

なので、誰かに何かをしてそして思ってもない言葉が返ってきたときは

上の考え方を思い出してくれると嬉しいです。


そして、日頃の中で探してください。

「模範にしたい」と思う人を。

「模範にしたい」と思う行動を。

それがこれからあなたの輝く未来を一緒に作ってくれる

「お父さん」で「お母さん」です。


大丈夫。

これは立派な心理療法です。

もし可能なら学者さん医師に心理士さんたち、これを是非実践してみてください。

患者さんなりクライアントさんに。

今までの逆説のようなこと言ってると思いますが、気づいておられると思います。

これは、イメージ療法であり、

認知行動療法であることを。


30代であろうが、50代であろうが、80代であろうが関係ありません。

誰にでもできます。

しかもお金かかりません!(やったぁ!)


では、今まで書いたのが「教育編」でした。

次が「環境編」です。


いきなり引っ越しとかしなくていいです。

そして、今、現状で虐待をされているけど、心が支配されて

その場所から出ることすら怖いというあなたにだってできることです。


まず、自分の部屋がある方は、一番布団にこもりやすいと思うので、

自分の体が「心地よい」と思うシーツに変えてください。

枕カバーだけでも構いません。

これだって十分、環境を変えています。

他には、どこでもいいです。部屋のどこかに花を飾ってみてください。

または、芳香剤や香水などで部屋の匂いを変えてみるのもありです。

今住んでる場所「住」の部分に自分だけの聖域を作って欲しいのです。


それが難しい場合は、

「お気に入り」の「公園」を探してみてください。

「図書館」でもいいです。

「河原」でも「河川敷」でももちろん構いません。

(お金がかからないというのが大きなポイント)


さらに心の中の環境としては、漫画でもいいですし本でもいいです。

絵を描くでも音楽を聴くでもいいです。

心と体が両方とも

「ほっとできる」場所を探すか作るかをするのです。

(ネットがいらないということが大きなポイント)


難しい場合は、心だけでもいい。体だけでもいい。

とにかくどちらかをしてもらいたいです。


もちろんですが、お友達やお付き合いしてる人、または顔を見たことはないけどなんでも話せる人

そういう人ほっとしたり楽しいなと思える方と居れるのでしたら

「ごめん。ちょっと手伝ってぇ」と軽いノリでいうのも多いにありです。

(というかそれが一番早い)


けど、この本は

「一人っきりでもできる」ということに重きを置いてるので敢えてこの方法を書かせてもらってます。


さて、まとめると、


●してもらいたいことを頭の中でイメージして、そのイメージを人に行う

●ほっとできる空間・場所を作る。探す


この2点です。

大丈夫です。

14歳の女の子が20年前にしていたのです。出来ます。

ぬいぐるみのうさぎのななちゃんと一緒にしてたのです。

で、これ読んでたら

「なんて可哀想なんだろう自分」

「なんて虐待された人って可愛そうなんだろう」と思うかもしれないけど、


ちゃうねん。

見た感じそう見えるけど、実際やってみたら、面白いぐらいに幸せ感じるんです。


もうね、笑えてきます。

楽しく感じてくる自分に出会えてきます。


いよいよ、あなたの人生で

「おもろい漫才」になる時がきましたね。

そして気づく時が来ます。

「ほんまにネタやった!」ということに。

さて、

自分自身にプレゼントを贈る人生を始めましょうか。



「生まれ落ちた瞬間「負け」だった。残る人生は「勝ち」しかない」



まぁ、何を持っての「勝ち負け」なのかという話になってしまいそうですが。


生まれ、大きくなる家庭が最悪だった時によく

「可哀想」という言葉が使われますが、私はいつも思うんです。

「何が可哀想なんだろう?」と。

「可哀想ってなに?」と。

なので正直いうとこの言葉はあまり好きではありません。なので滅多に使いません。

人にも思わないですし。


それで、「一般の方」よりも不幸または不遇な状態で育ったというのは

もう、

「伸びしろありすぎるやろ!というか縮み切ったバネの状態やん!」と感じてしまうのです。

縮みきってるのであとは飛ぶしかない。

というかそれしか見えない状態だと思います。


で、実際経験してみて、私は本当にそうだと感じました。

し、

今だってそう感じながら生きております。


私たち「被虐待児」は本当に「敗者」でしょうか?

いいえ。そんなわけもちろんありません。

強すぎる「戦士」の様なものです。

強すぎたから徹底的にいじめられたのでしょう。

(ケンシロウが生まれてきた感じ)

強いままで大人になられたら困ったのかもしれないですね。親は。

けど、親である彼らもまた

強すぎる「戦士」だったのかもしれないです。


ただ、弱くなりたかった。けど、弱くなることを許してもらえなかったのでしょうね。

そう思うと、許してあげてもいいんじゃないかと思えてしまいます。


彼らたちにだけこの言葉を使いたいと思います。

「可哀想だなぁ」と。

69回の閲覧

© 2023 by Ingredients. Proudly created with Wix.com