第二章 全文公開

第一章の続きの、第二章を全文無料公開したいと思います。


編集が入る前なので、書籍になったらまた違う雰囲気だとは思いますが、

修正依頼も終わらした原稿そのままを載せています。

(書籍になったら勿論ですが縦書きですよ。)




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第2章

社会の非常識をやり続けると常識人になるカラクリ

「温かい食卓が毎日繰り広げられるというあり得なさ」


いきなりなんですが、マジな話をします。

(いやずっとマジな話を書いてるんだが)


暖かい食卓は漫画か映画またはテレビの世界だけ

と本気で思ってましたし、信じて疑ってませんでした。

ここでいうところの

「暖かい食卓」は何を指すかというと

「お腹減ったー」と子供がいう。

「あらあらそれじゃあご飯の支度をしようかね」と母が言う。

けどお腹が減ったと騒いだがために予定より早く出来上がったご飯を

「私、これが食べたいんじゃないんだけど」とさらにわがままを言う。

ぶうたればがらご飯を口に運んでると、父が子供に笑いながら諭す。

「お前は相変わらず文句は言うけどしっかり食べとるやんけ」と。

その時作った母はクスクスと笑いながら静かにお味噌汁を流し込む。


こういう

「子供がわがままを言うけれどそれも含めて存在を認められてる食卓」

と言う意味が

「暖かい食卓」という言い方を私はしています。


この風景はもちろん毎日は続いてないわけですよ。

「おいしい!」と飛び上がる時もあれば、

「あのね・・・」と泣きながら沢庵をかじる日もある。

何かの理由があって食卓に姿を現さない時もあっての

その中に上の様な時もあるのです。


これは親は一貫として

「子供が不安定な状態でも自分は見守りますよ」

「どんな姿でも愛してますよ」という姿勢が見えてると思います。


では、私の実際の生活はどうかというと

「全部残さずに食べる」

という以外の選択肢はないのです。

例えば、もちろん実際の話なのですが、

4歳の時に出されたカレーがありました。

そのカレーの中に入っていたお肉が固くて噛みにくくて食べにくかったんです。

いつもより食べるのに時間もかかります。そしたらお腹もいつもよりは膨れるし

何より食べたい意欲がなくなってました。

けど、残すことは許されませんでした。

台所で一人で食べろ。食べ終わったらこっちのリビングに来てもいい。

と言われて23時に一時間かけてカレーのお肉と格闘しました。

残り一切れを許してくれません。

結局たべれなくて、でも食べれないというのはもっと怖かったので、家具の隅に隠して

「食べたよ」と言ったらようやくリビングに入れた。

という経験があります。


これは「全部たべれる状態しか愛しません」と言ってるんですね。

「どんな姿でも愛してますよ」からはえらく遠い状況なのがわかってもらえましたでしょうか?

距離でいうなら

東京の成田から、もしくは関西空港から出発してイギリスに向かうぐらい遠い距離なんですよ。


まぁ、遠い。


なのでみんながイギリスに実際に住んでるとは夢にも思わなかったんでしょうね。

だからこれが現実なんだと知って、さらに体感した時には

「触れてはいけない世界に触れた」という感覚になりました。

これを

「ありえん」「マジか」という言葉に省略しています。


これぐらい、一般で皆さんがやってのける日常は私たち「被虐待児」からしたら

「非日常」であり、それを一般の皆さんはやってのけてるのです。


マジ、異空間。

マジ、いと難しす。


「被虐待児にとっての非常識を毎日やる」


こう言う風に

私たち「被虐待児」にとって非常識だと信じていたことは

社会では「常識」であり、至って「普通」のことなのです。

私たちにとって

「社会ではこれは非常識でしょ」と思ってること、行動が

「社会ではこれが常識のこと」になるのです。


私たちの頭の中にある

「社会から見た非常識」と言うのは都合よく植え込まれてしまった教育なだけです。

簡単に言うと、それが一番の「嘘」です。

だから私たちは

「自分にとって常識と思うことをしよう」と思い、行動する度に一般からかけ離れていってしまうのです。


私たちが

「自分たちにとって常識」と疑いもしないことが非常識だからです。

真逆なのです。

式にするとこんな感じです。


「(自分の)常識 =(社会の)非常識」

「(自分の)非常識 =(社会の)常識」


今、この世の中にある医学も心理学も「一般」に合わせています。

と言うことは医学や心理学などで言ってることすらも逆転してしまうのです。

だから私たちに効かない。

薬も療法も効かない。


それは、とても怖いことです。


私が今ここで書いてそして実践してくださいと言ってることは

今まで信じて疑わなかったもの「全て」が虚像で嘘で何もかもが偽物だった。

と認めることだからです。

それは信じて疑わなかった「自分自身」が崩壊する時だからです。


きついけどそれでも言います。


崩壊し切ってください。

理由は

「あなたが本当に大事にしたくて守り続けてきた自分自身に出会うため」であり、

いかに自分という存在が尊く、素晴らしいかを知れて、

何よりも、

「自分がこんなにも生きたいと願っていたのか」という

「生に対する執着が強い」という他にはない才能を持ってることを自覚してほしいからです。


私たち被虐待児は

「生きている」という感覚が薄いです。というかあまりにもなさすぎです。

だから

「生きている」感覚が欲しいがために色んな問題と呼ばれることを起こしていく。


例えば

戦争中、あれほどの「死」を目の当たりにすることが当然の時に

「生」に意識は行きづらいものです。

「死」というものを目の前に見続けていたら「生」というものをちゃんと見れていません。

「生」を見たいが為に、

隣にいる「一般人出身」の友達を見て憧れて

「生きてる感覚」を得るために無駄に自分の体や心に刃物を切りつけてきましたが、

そんなことしなくても、もういいのです。


理由はすごく簡単です。


あなたがどう思おうがあなたは「生きている」からです。


それを周りも、もちろんここで書いてる私も心から認めています。

そしてこれから先も

「一緒に生きていきたい」と思っています。

「一緒に生きていきたい」というのは

「あなたに存在してもらいたい」ということです。


なので、私たち被虐待児にとっての「非常識」を毎日毎日やってください。


例えば、

●毎時間、決まった時間にご飯を食べる。(ご飯の時間が決まってなかった人は)

●「お父さんとお母さんが大嫌いだ」と自分に言い続ける。(親を絶対に嫌いになっちゃいけないと感じてる人は)

●自分の友達やお付き合いしてる方に「助けて」と言ってみる(親に助けてと言えなかった人は)

●夜中に外に出てみる(時間が厳しく育った人は)


そして一番の「真実」は


あなたがたくさんの人に愛され必要とされているということです。

そして

一番、親があなたを必要としていない。ということです。

私たち被虐待児の親は「あなた」の愛が欲しいのではありません。

誰でもいいし、なんでもいいのです。

たまたま私たちを目星にしただけです。

なので、私たちが親の元から離れても大丈夫です。

また誰かや何かを目星にしますから。

そして新たに目星認定された人がいたとしても、そういう人はあなたよりかは上手に

親から離れていきます。

だから勝手な罪の意識も背負わなくて大丈夫です。


何よりまず自分の手の届く範疇のところから行動していきましょう。


徹底的に自分に幸せをあげ続けてください。

周りのことなど気にせず、ひたすら幸せになりにいってください。


それがひいては、周りの人も幸せにしていくことになります。


親に遠慮なんてせずに

どうか「最高の人生」をかけ走ってください。


必ず、あなたにしかできないことがあります。

これは絶対だと私は思っています。

生まれてきた命に無駄なものなどありません。

あなたの手を待っている人やモノが必ずあります。


その為にも

「面白い漫才」をやって欲しいと思います。


「嘘だと思ってたことが全部「本当」」


そしてです。

私たちは自分が日本人だと思ってます。

周りの人がイギリス人だと思ってます。

または

全員同じ国の出身だと思ってるかも知れません。


実は言うと、これすらも嘘で


私たちがイギリス出身で

周りの人が日本人なのです。

(勿論ですがイギリスとかは例えで言ってますよ)


私たちは出身がイギリスです。

(例が変なんじゃないかと疑ってきたわ・・・)

そして現在住んでる場所が日本です。


わかりやすく言うと

生まれ育った場所がイギリスで

移住先が、ここ、日本です。


言葉も生活習慣も全部私たちはイギリスです。

それなのに

「ナゼか、ニホンゴ ヘタナンデス」って言ってるものなんですよ。

当たり前やん!お前はイギリス出身やからや!と言う感じなのです。

そして周りの方も

「あの人、なんであんなに日本語下手なのかしら・・?」って言ってるのです。

当たり前や!あの人はイギリス出身やからや!


日本人前提で話をしすぎなんです。

多くの日本人が。


けど、こうなるのも仕方ないと思えます。

家の中ではイギリスなのに

玄関の外を出るとそこは、日本だから

必死にずっと二つの国の言語を取得しようと頑張り

二つの国の生活習慣を体得しようとしてて

しかもこれを被虐待児はしていないと言うことに気がついていないからなんです。


それでいて、見た感じ「同じ」に見えるから混乱するんです。


ここばかりは本気でお願いします。

「自分はイギリスから来た異国の人なんだ」と自覚して欲しいと思います。


頑張って「日本人になろうとしてた」と言うことを。


けれど私たちの目的は

「みんなと同じように日本人になること」なので、

時間はかかるけど、ちゃんと日本での生活が慣れてきますよ、日本人にちゃんと帰化できますよ。

社会の中に参加できますよ。

と言う希望を抱き、現実にするためにも

「自分はイギリスから来たんだな」と自覚して欲しいと思います。


そして周りにも

「すんません。自分イギリスから来たって気づいたん最近で・・・でも日本に馴染みたいと思ってるんでぇ」と

教えてあげてください。

周りの方も

「上手な日本の暮らし方」や

「日本人とは何か」と言うのを教えてくれます。


そして日本人の皆さん。

もしそう言った方が現れたなら、その時はびっくりすると思いますが、

「日本での生き方」をどうか伝授してください。

そうですね。

まずは

「日本での家族というもの」から教えてもらえると大変衝撃がでかく

イギリス人だということが更に強く自覚しやすいのでありがたいと思います。


「想像以上に世の中が優しすぎる」


さて、

「実は言うと、自分、イギリス出身でして・・・」と言う告白の後に起きることがあります。

それが、

思ってる以上に周りの人が自分のことのように必死になってくれる。

と言う奇跡を目の当たりにします。


もちろん、全員が全員ではありません。


私だって

「被虐待児だから」とカミングアウトしたことで、

「汚い者扱い」は受けました。

けど、それは以前の

「こいつ意味わからん頭のおかしいやつ」よりかはずっとマシで、

何より、そう言うことをいう人の数が少ないです。

(10分の1にも満たない)


けど、その数以上に

「私にできることあるなら言うて!」と手を差し伸べてくれる人の方が断然多いです。

なんなら、そう言う言葉にはしないけど、ものすごく態度に出て助けてくれる方もいらっしゃいます。


本当に思ってる以上に、世の中は優しいし、

って言うかみんな良い人すぎて、お布団の中で隠れて泣く羽目になります。


そして、カミングアウトする時、そう言う時には必ず、

疑心暗鬼や懐疑心を捨て、斜に構えたりせずに、

素直に一番痛い部分をカミングアウトしてみてください。

格好もつけないでください。

どうせ格好つかないですから。


難しいと感じるかも知れません。

そりゃそうです。

一番素直な時に一番大事な心を踏みつけられたのですから。


でもね、それが世の中の人全員が同じことをするって言うのは違うんですよ。

「親ですら信じられへんのに誰を信じるねん!」

って私もよく言いました。

(たまーにいまだに言います)

でも、親以上にあなたを信じてる人がいます。

親以上にあなたを大事だと思ってくれてる人がいます。

もう出会ってるかも知れないし、これから先出会うかも知れません。

貴方が気づいてないだけかも知れません。

言えることは、

「親が一番あなたを愛してなかった」と言うことです。


だから

親以上にあなたを虐める人はもう現れません。


だから一番傷ついた場所を、素直に相手に心を許して開いて欲しいなと思います。

そして一度だけではなく、

何度も開いて色んな人にそのカミングアウトを聞かせてくれたらなと思います。


被虐待児たちの傷は、いまだに膿んでいる状態です。

理由は、酸素に触れてないからです。

本人すら逃げているので、ずっと膿んでいます。

けど、本人が膿んでる場所を特定してあげ、人にカミングアウトと言う形で酸素に触れさすことで、

その場所は、化膿が終わり、カサブタになります。

そしてある時そのカサブタが剥がれ落ち、古傷ではあるけれども、

その時、綺麗に再生した心になっています。


人間の体で唯一、触ることもできず見ることも出来ないのが

「心」です。

それは、手術が出来ないと言うことです。

じゃあ、再生することや、悪性腫瘍を治すことは不可能なのか?と言うと

そうではありません。

触れれないし、見れない。けれども感じることができる「心」

それは同じく「感じる」ことが手術をしていることになります。

なので、沢山の蓋をしていた感情を感じてください。

沢山の人と出会い、沢山の感情を交換しあい、

沢山の場所を訪れ、沢山、心が震えるほどの感動に出会ってください。


その時、

「虐待されていた自分」が

ちゃんと

「遠い過去」になっています。


そして、それを手助けしてくれている人が

あなたのそばにきっといるはずです。


そして、いつの日か

「暖かいご飯」が当たり前になっている日がきます。

「暖かいお布団」も「暖かいお風呂も」

「暖かい世界」も

当たり前になっている時がきます。


こんなあまりに当たり前すぎるかも知れない些細なことを

私たちはきっと泣けるほどの幸せに感じるんでしょうね。


それを

「幸せ者」って言うんだと私は思います。


「日本人という常識人になる」


私たち被虐待児は

「イギリス人」という「非常識人」です。

(何度も言いますが例えです。日本以外の国も私は大好きです)

私たちの当たり前は、社会では通用しません。


同じように

社会での当たり前も、私たちには理解し難いです。


しかし

私たち被虐待児は

みんなと同じ「日本人」になりたいと願っています。

だから悪戦苦闘しながらも、生きることを選択してきたと思います。


本当は金子みすずの詩のように

「みんなちがってみんないい」のですが、

ここでの場合、

「自分がどう何が違うのかを被虐の当事者がわかっていない」

というのは

自分の姿形を自分の目で見てないのに「見てよ!」といってるのと同じで、それはあまりに暴力的すぎるから、

まず自分自身の出身を知ってから、

「私はイギリス出身です。けれども隣の方は日本出身です。でも私もお隣さんも

みんなとても素敵です。みんなちがってみんないいです。」

ってようやく言えると思うんですよ。


自分の出身を肯定してようやく

「憧れていた日本人」になるんだと思うんです。


「日本人」という「常識人」に私たちはなりたいと思ってる。


それは、自分自身の非常識さ(出身の違い)を認め、許し、

良い意味で自分を諦めて

その時にようやく

日本人に帰化できると思うんですよね。


社会での「当たり前」を知りたいのなら、

自分にとっての「当たり前」も何かを知る必要性があると思います。


同じ言葉の

「当たり前」でも

どれだけ距離があるかを知っとくべきだと。

どれだけ違う意味で使ってるかを。


「面倒くさいな」と思っても仕方ないと感じます。

でも大事なことほど面倒くさいものなのです。

大切なことほど、時間と労力がかかるものなのです。


この面倒くさいことに取り組めて人は幸せになれるものなのです。


私はこれに本気で取り組んだら

たった3年で人生が逆転しました。


私たち被虐待児にはどうしても知りたいことがある。


「どうしてこうなったのか。何があってこんなことになったのか

自分の何がいけなかったのか」


ということを知りたい。


これを知ることがいかに痛いことかを痛切に理解してるからちゃんと逃げてるだけで、

けど、その痛さって結構短いってことは知られてない。


人それぞれかかる時間はバラバラだろうけど、

でも密にやればやるほど、痛く感じる時間は短い。

代わりに

生まれ変わったと感じる時間は長くなる。


そしてそれを知った時に私たちはようやく

「日本人」という「常識人」になれるんだと思います。

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