被害者から加害者になる時

私は長らく被害者で居続けた。


さて、

どこからが「加害者」になるのか?


24歳で長男を産んで育ててる時にふと感じたことがあった。


「私はもう大人になったのだ」と。


それは

成人式を終え、二十歳になった誕生日に自分で年金を納め始め、

保険証を作り働いていたけれど、

それでもどこか気分は「子供」のままでいた。


でももう目の前に可愛い子供がいて、その子供を育てている。

「私は、次の世代に次の時代に、バトンを渡す時が来たんだ」と思った。


子供の時に受けた傷の深さはそれはそれは深かった。

そして、子育てをしていて憤りを感じたのは

基本的に子供というものは親から

「責任の取り方」を教えてもらうものだと思ってて

その姿を見せ教えることで、

成人をしたのちに、

「自分一人でも生きていける状態」であり、

それを「自立」と言い、

自分の足で自分の人生を責任持って進んでいくことだと考えている。

社会に出て苦しいこと悲しいことがあったらいつでも帰ってきたらいい。

そこで休憩してまた歩き出せたらいい。

その沢山の基本的な充電を一生分を成人するまで

親からもらい、親の愛情を沢山食べて肥やしにして

自分の人生という歩き方を学ぶところが家庭だと思ってる。


そこまで持っていくのが親の責任だと私は考えている。


けれど、こういう私のような人間は充電器がいない。

親元を離れたら自分自身が充電器になるのだけれど、

そもそも充電器がないので、充電できない。


それを大人になってから自分で親がやったマイナスの行為の分まで

私自身が責任を持って過去も未来ももちろん現在も

払拭し傷口を自分で洗い消毒をして傷の手当てまでしなければならない。


だから多くの人はこれをしないことを選ぶ。

親に責任を取らせようとするからだ。


本来、親が子供にした行いは

良いものも悪いものも親が責任を払うものだ。


しかし、それが叶わない人もいる。


人生の重荷が増えるのだ。


自分の荷物だけで本来済むものが、他の不要な荷物ももち

それを処分しながら生きなければならない。


理不尽極まりない。


と憤りを感じた。

というよりも、怒りで狂いそうになった。


「ぬぉぉぉおおぉぉ!!!」


と昼間、寝てる長男を見ながら頭を掻きむしった。


「ふざけてんなぁぁぁぁ!!!親の感情の処理に私を使うんじゃねぇ!」

と思った。


でも、もう目の前に幸せそうに、安心して私に全てを委ねて眠る長男は存在している。


過去には戻れない。

もう目の前でこれから人生を歩き出す小さな生き物はいるのだ。

じゃあどうするかを考えた。


どれだけ子供で居続けたくてももう私は大人なのだ。


当時、大人たちか作りあげた社会で生きていた子供の私は

その大人たちが残した負の遺産を清算する立場になった。

なんとも矛盾しまくりだが、

それでも私は次の世代にバトンを渡す大人なのだ。


目の前にいる子供に何の罪があるのだ。

私より上の世代に文句を言いたくなったけど、

私はその時誓った。


理不尽だけど、それでも私は子供の時に受けたものを

次の代に持ち越さないでいよう。

大人として大人がすべき仕事を全うしようと。


だからされた傷、受けた傷すらも大人ならば自分でなんとかしようと思った。


けれど、私はとあることが怖くて行動に移せなかった。

長男が6歳次男が4歳の時まで。


それが、

「私は虐待という環境で生きてきました。だから全うな「普通」の子育ては知りません」

と回るの人にカミングアウトすることだった。


これが出来なかった。


理由は

「常識」「当たり前」「普通」という概念には当てはまらなさすぎるから。

あまりにも異質すぎるから。


そう。私は周りの目が怖かったのだ。

そして

私は周りの目を優先したのだ。


「そんなことないよ。なんともなくていたって普通の家庭で育ったよ」

と言い続けたし振る舞い続けた。


それが、前の夫に、前の嫁ぎ先のお母さんたち岩手の家族に

保育所の先生、保健師さん、自動相談所の方を混乱に陥れて入れてしまった。


モデルとなる母親像がいないのは大変なことだった。

自分が経験していないことを子供に教えなくてはならない。

当時は気づいてなかったけど、

こんなもの簡単にキャパオーバーだ。

当時は意識していなかったから大変な作業をしてるとわかっていない。

だから幾度となく倒れた。

その度子供たちは施設にお世話になることとなった。


もちろん薄すうす前の旦那さんは気づいていたけれど、それでも私が認めないし

それを口に出さないから

前の旦那さん含め

「(普通と言うならば)なんでこんなこともできないのだ」

ととても周りの人に言われた。


私が周りの目を優先し、

「私は虐待を受け一般的な育児を理解してないのでどうぞ教えてください」

と言わないことで

着けなくていい傷を長男次男に与えてしまっていたのだ。


そう。

被害者で居続け、声を出さず、押し黙り、社会の常識に合わせに行った。

これが私がした「虐待」なのだろう。


被害者で居続けると必ず問題は起こる。

その問題を起こすことで私は

「ほらね。あなたたちの所為でこんなに不出来な人間が出来上がったよ。

ね?お母さんたちが言ったとうり出来損ないができたでしょ?

よかったね。こんなに出来損ないでちゃんと人に迷惑をかけてみんなを沢山困らせて

私はこんなにもダメなお母さんにちゃんとなれてるよ」


と、私は「親たち」に復讐をしていたのだ。


もちろん、虐待と取るのかどうかは子供たちが決めることだ。


けれども、

見て見ぬ振りをし、押し黙り、平気なふりをして、

世間で起きる悲しい事件に傍観する。


これが加害者なのだ。


私は被害者から加害者側になっていた。



(「お兄ちゃんになりたい」と当時願っていた次男。誰よりも娘の誕生を喜んだ)




もちろん、根本的な

「私は虐待を受けていてこれが異質なものなんだろう」と

自覚できていたのは14歳の時だ。


自覚できていたから親が行う罵詈雑言や罵倒する言葉に

殴られ続けける日々があっても

ここからは入らせないよと言う境界線を作れたのだろう。

「私は被害者だ」と認めれていたから

「絶対にこんなことは自分の子供にしない」と固く誓えていたのだろう。

「どうやったら子供を幸せにできるか」を長年探し続けれたのだろう。


けれど、社会に勇気を持って

カミングアウトできたのは

2015年5月のことだった。

当時30歳になる手前だった。

それまで私は誰一人として口を割らなかった。


けど、そうやって

「普通」「常識人」を振舞うことが

「黙って被害者でい続けること」が

一番、必要のない被害を生み作ってしまっていたのだ。


産まれてくる子供になんの罪があるのだ。

全くない。

この世の全ての子供たちにはなんの罪もない。


「被害者で居続けること」

「そしてそれを黙ること」


これが加害者になる時だ。


そして

「あれは親なりの愛情だったのだ」と自身に言い聞かせ

自身が子供の時に感じた感情を騙していることも

「遠い次元の違う話なのだ」と傍観することも

誰かや何かに批判をし被弾をすることも

立派な加害者なのだ。


昨今の悲しい事件は

私を含め、ほとんどの大人が引き起こしたものだ。

その社会を作っている、その社会を長年許容している

私たち大人が全員加害者なのだ。


例え、悲しい子供時代を送った被害者であっても。

© 2023 by Ingredients. Proudly created with Wix.com