愛とは

最終更新: 1月14日

私は、長年苦しかった。

何が苦しいかというと

「これは愛情なのだ」と親から示されるものが

私にとって苦痛であったり、悲しい気持ちになるものが多かったからだ。

けれど、これを愛情と取らなければならない。

社会もそういう。


けれど、苦しかった。

だから私はそれを認めないことを選んだ。

「この苦しいと思う気持ちを持つ私が悪で、あれは愛情なんだ」と言い聞かせた。

私は愛情と取れない自分が真っ黒焦げの汚い人間なんだと

小さな時から思っていた。

喜んで受け取れない。

そんな自分はなんて汚い人間なんだろう。と。


30歳になった年に、

一番最初のカウンセラー養成学校の恩師のカウンセリングで

「それはもう、虐待ですよ」と言われた時に、

私は心底ホッとした。

あぁ、あれは苦しいといってもいいんだと。


けれど、そこから私の次なる疑問が湧いた。


あれは本当に絶対悪なんだろうか?

本当に悪なのか?

と。


今振り返ると、私のこの発達障害のADHDの特性は幼少期から飛び出てて

大人から見たら意味もわからないし、予測もつかなかっただろう。

瞬間的にピンときたものにはすぐに手を出し、

振り返って反省する間も無く次の行動に移る。

興味が湧いたものには脇目も振らずにそこに行く。


例えば、こんなエピソードがある。

私が3歳ぐらいの頃。まだ父と母と3人暮らしの時の話だ。

川に遊びにいった。

滝を上から見て、綺麗だねとそんな話をしていたそうだ。

そして上から5メートルは超えるであろう絶壁の上から眺めていた時に

そのまま私は飛び込んだのだ。

このエピソードを私は覚えている。


とにかく入りたい。あの水の中に入りたい。

それだけだった。


けれど、まだ3歳の子供がそんな絶壁から飛び込んだのだ。

母はすぐに父に

「あんた!!!」と叫んだらしい。

父もそのまま飛び込んだ。

(父はアスリート選手だったのできっとどうしようどうにかして!という意味で母は問うたのだと思う)

水の中から私を捕まえ、父は片手に私を抱き、

その絶壁を登った。

登り切って母の前で私をおろし

(ちなみに私はとても元気に笑っていたらしい)

その父は怖さのあまり震えていたという。



今思い出したら、

「そりゃ震えるわ・・・」とかいろんな思いが出てくるのだが、

必死に抱き上げ片手で登り、絶対に落ちない落とさない死なせてたまるか。

何があっても死なせない。

という気持ちがあったら?

というか私にはそうとしか感じれない。


こういうエピソードはこれだけではなくて、あれもこれもと出てくるし、

その話をされた時に

「あ!あの時のことか」と思い出す私がいるから事実なのだろう。


自分が親になってみて思ったのは、

「これは怖いわ」だった。

そしてカウンセラーになり、自身の発達障害の知識をふんだんに着けたおかげで、

自分の特性もよく見えてくる。


まずこの幼少期のことを覚えてる時点で記憶力が異常にある。

私は大体のことを鮮明に覚えている。

小さな(一般的には忘れないであろうもの)ことは全く覚えてないが

大きな括りはほとんど記憶している。

例えていうなら

国語の教科書の中に書いてる細部は覚えていないが、

教科書とした一冊のものという括りにした時に

一冊の中に何話どんな話が書いてあったかというのは記憶している。

そういう感じなのだ。


この特性一つ取っただけでも、親と自分にえらく違いがあるのがわかる。


これは、仮説でしかないのだが、

この当時1980年代から1990年代は今のように

子供に向けての「発達障害」という言葉は広く使われていなかったし、

そのため、小児科医だって見つけにくい。

今でこそ発達障害等は、環境とマッチした時にその凸凹が目立たなくなると言われていて

逆を言えば、その凸凹に環境を合わせに行くと

親も子も随分と楽になるのだ。


しかし、そんな情報を簡単に手に入ることもなく、

ネットなどそんなものも全くなく、

頼れるものは病院や保育士の先生方などだけで、

(母も頼る先がなかったため)

毎日母が私を病院に連れて行った話もわかる気がする。

きっとなんとかしようと思ってたんじゃないだろうか。

でも病院に連れて行けば、母が狂ってる扱いをされてしまい、

父と母が持てる力以上のものをひたすらかき集め

必死を超えて常に容量オーバーな状態で私を育てていたとしたら?

しかも当時父と母は25歳にもなっていない。

先ほどの話なら二人は23歳だ。


若い二人がなんとかしようと走り回っていたとしたら?

けれど周りに聞いても怪訝な顔をされていたら?

小さな小さな女の子のことを誰も理解できないで

そこに病名という原因が特定できるものもなく

何よりも二人が一番知りたいことを知れないとしたら?

一体何が悪くて、一体何が良くて

何をやってもその娘のすることが社会から受け入れられないことだとしたら?


この一つの背景を考えただけでも、私は思う。

「本当に悪なのか?」と。


はっきりいって、今のこの時代でも私の特性はなかなか理解されていない。

理解できてるのは今の夫だけだ。

理由は彼も全くといっていいほど私とよく似ているからだ。


話を戻して、

彼ら二人「父」と「母」となる者が必死で必死で与えた

「愛情」が

私には苦痛に感じ辛いものだと感じ、

そして「虐待なんだ」と判断するとこまで行ってしまう。

行き過ぎたところは往々にあったとしても

それでも始まりの起点の、必死さが全て空回りし

それが長年続いたら?

「憎しみ」に変わってもおかしくないと思う。

長年というのは最低10年か15年だ。

そして33年間、今も続いていたとしたら?


こんなに悲しいことがあるのだろうか。

こんなに切ないことがあるのだろうか。

こんなに涙が止まらないことがあるのだろうか。


「良かれ」と思ったものが全て「悪」になる。

私は一体どこを責めたらいいんだと31歳の時に途方にくれた。


なぜかってどこにも「悪」がないからだ。


ひたすら親自身が持っている

四角以外の形も集めてくる。

丸でもなく三角でもない。

なんだったら正三角形も二等辺三角形も持ってきた。

でもそれでも目の前の娘には全く合わない。

娘が提示している形はお星様の形で

でもまだ世の中に情報としてもなく

まずその形が世の中に存在していない。


存在してるのは娘という形だけで

拙い言葉では収集がつかない。


愛とは、「与えたい」ものだ。

しかし、与えた先に本来親が望んでることは

子供が心から笑っていること

これだけなんだと思う。

喜んでもらえた

というそれが知りたい。


それは

どんな親でも

「目の前の子供を幸せにしたい」になるのではないだろうか。

ただ、それだけのために

親は走れて普段やらないことにもやれてしまう。

その気持ちそのものがもう、尊い愛で、

けれどその尊い愛が、

悲しい気持ちを生んでるとしたらどうだろう。







これは前回の記事の

「虐待とは何か」の答えでもなければ続きでもない。


ただの私の思い出話だ。


ただ、こんな小さなことがきっかけだったんだよという

なんともみっともないプライベートな話なだけだ。

© 2023 by Ingredients. Proudly created with Wix.com